1978-12-21 第86回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号
それから田中総理が訪問されて以来、向こうの方からは最高指導者がおいでになっておらぬわけでありますから、ブレジネフ書記長は無理にしても、コスイギン総理おいで願いたいということをしばしば招請をしているわけでありますけれども、ソ連の側から言えばなかなか頭の痛いところであって、少なくとも指導者が他国を訪問する場合に、訪問したら訪問したことによって何らかの成果が上がったということでなければなかなか訪問はできないと
それから田中総理が訪問されて以来、向こうの方からは最高指導者がおいでになっておらぬわけでありますから、ブレジネフ書記長は無理にしても、コスイギン総理おいで願いたいということをしばしば招請をしているわけでありますけれども、ソ連の側から言えばなかなか頭の痛いところであって、少なくとも指導者が他国を訪問する場合に、訪問したら訪問したことによって何らかの成果が上がったということでなければなかなか訪問はできないと
強い回答もあればやわい回答もあると思いますが、その中で日ソ友好の打開の道を進めていくべきだと存じますが、具体的に私がグロムイコ外務大臣及びコスイギン総理と会った印象、言葉から判断いたしますると、具体的には善隣友好条約をどうするんだということが向こうの表立った言い分でございます。
そこで、私は、この前、モスコーに行きましたときには、ほとんどこの領土問題にしぼってどの会談も、コスイギン総理との会談も、最後のお別れの宴会のときさえも国際慣例の儀礼を顧みず私は主張してきたわけでありますが、向こうとしてはこの問題に、議題に乗ってこようといたしません。そこでこの両方の立場は相当隔たりがある。
ただ、向こうへ参りましたときに、第一回目の漁業交渉で私が官房長官のときに総理代理で参りましたときには、議論いたしましても一々反駁をしたわけでありますが、今度の定期会議の交渉では、コスイギン総理もグロムイコ外務大臣も私が失礼に当たるかもわからぬぐらいの意見を言っても黙って聞いておるということであり、また経済協力あるいはサハリンの南の海底の開発等についてもわれわれは十分協力する用意がある、こういうことを
ただいま御指摘のございましたアメリカの情報と申しますのは実は非常に限られたものでございまして、御指摘の点が、もし事件の中間経過、たとえば湖水に着陸いたしますとか、そういうような事実関係、そういう情報ということでございますれば、実はアメリカの方からその種の情報が入ってまいりましたのは二十二日以後のことでございまして、中川農林大臣がコスイギン総理と会われましたのは二十一日でございます。
○国務大臣(園田直君) この取り扱いが一番むずかしく、しかも微妙な問題でありまして、私が参りましてコスイギン総理と会ったときにも、第一点は、鈴木・イシコフ会談の継続再開、それからもう一つは、両方とも漁業専管の大臣でありますから、漁業問題について交渉を継続すると、こういうことも、その問題が微妙でありますから、そういう表現で領土には一切触れずに帰ってきたわけでありますけれども、農林大臣とイシコフ大臣との
そしてこの植村ミッションは向こうの首脳部と、たとえばコスイギン総理と長時間にわたって会談をやった。それからブレジネフ書記長は、アメリカのキッシンジャー国務長官が来ておる最中に、しかもキッシシンジャー長官との会談中の時間をさいて、クレムリン官殿で植村ミッションの植村さんあるいは永野さん、工藤さんと三人の日本のミッションの一行とも会って非常に熱心な会談をやった。
それから第二点は、総理大臣の記者会見の場における総理の御発言に関連して、訪ソの問題をお尋ねになりましたが、これは顧みて他を言うようになっても恐縮なんでありますけれども、私が最近ある機会にコスイギン総理と会いましたときにも、コスイギン総理もいつかどこかで佐藤総理に会いたいなという感懐を漏らしたくらいでございますから、しかるべき時期に会う、あるいは訪問する、あるいは訪問し合うということは、私は大局から考
そういう話を受けた川島さん御自身にもよくわからないくらいでございますから、私もその点について、憶測をまじえてこれに対して意見を申し上げることは差し控えたいと思いますけれども、要するに、ソ連の態度は、領土問題は第二次大戦後解決済みである、これは日本に対する関係だけではなくて、第二次大戦後国庫問題は、他の国境問題についてもこれは終結したものであるという考え方に立っているわけでございますから、これはコスイギン総理
○国務大臣(愛知揆一君) この問題につきましては、まず、私自身の印象を申し上げたいと思いますが、昨年の秋、ソ連に参りまして、コスイギン総理大臣やグロムイコ外相と会談をいたしまして、徹底してこの問題を取り上げて主張をあらゆる角度からいたしたわけでございますが、私の印象から申しますと、解決済みであるということはともかくといたしまして、ソ連側としては、第二次大戦後一般的にいって国境問題はおさまりがついたのである
それから各種の不幸な事件につきましては、その当時も第十三福寿丸が遭難した直後だったものですから、これはコスイギン総理にも強く要請をいたしまして、結局こうした不幸な事態が起こるのは、安全操業の問題や、あるいは領土問題が解決しないことに根本の原因があるんだし、かような非人道的な、ことにあのときには二週間以上も消息もわからなかったわけです。そうして突然回答をよこした。
私自身も、昨年の九日ソ連へ参りましたときに、コスイギン総理はじめ、これはという人たちにこの問題について意見をただし、あるいは質問も試みてみましたけれども、要するに国際緊張を緩和するために何か雄大なことを考えたいのだ、それから具体的にそれではどういうことかと申しますと、アジアのある一国に対して侵略の脅威が起こったというような場合に、他の国々が相協力してその脅威を排除するというような組織ができることが望